足かせを外せる人と、外せない人の違い
ぼくは、これまでずっと、1つのゴールを思い描いてきました。そして、その事を周りの仲間にも言い続けてきました。
それは何かというと、
「ひとりで稼ぐ力を身につけて、余計なしがらみにとらわれず、余計な我慢をせず、自分の一生を大事にできる力を身につける」
という事です。
そのためにできる選択肢をずっと見続けています。
これまでも書いてきましたが、
事実、インターネットが普及した現代では、
『自力で生きる』という選択肢が、いくつもあるからです。
しかし、こう書くと、必ず次のような事を言ってくる人がいます。(しかも、若干感情的になって。。)
「うまくいった人はもともと才能があるから」
「頭の良さや実行力のスキルが違うから」
「普通の人ができるはずがない」
「もう遅い」
「それができる時代は終わった」
あなたも、こんな事言った事ありませんか?
今回は、その点について、理解を深めてもらえたらなと思います。
誤解その1:ゴリゴリの競争社会の中で、トップに勝ち残らないといけなさそう
ぼくも、実際にインターネットでお金を稼ぐようになって気づきました。「トップになる必要」は、全くないのです。
そもそも、生活できるくらい稼ぐのなら、そんなに仕組みも複雑ではないし、割とサクサクできます。(難しそうに、魅せられてるだけです。カモられてたんです。)
イメージ的には、九九を覚えようとした時と同じようなもの。もちろん、年商で何十億と稼ぎたいなら、話はまた別です。
でも、そんなひと握りの人になる必要は、果たしてありますか?
なぜ、ここまで言えるかというと、モノが売れる仕組みを、作りさえすればいいからです。
しかも、それが『超・大量』に売れる必要なんてどこにもないのです。
例えば、月収30万取れたら、年収360万。
平均年収は超えますよね?
じゃあ、ここを達成するためには、どれだけ売れたらいいか。それは、極端に言うと、
「1万円の利益が出る商品が、1日1個」売れる仕組みができたらいい。
こんな感じです。
そしたら、月収30万は超えます。
今の収入に+30万されたらよくないですか?
これが、2日に1個でも、15万です。
それだけでも、切り詰めたら生活はできますし、サラリーマンしながらだと、もう旅行とかバンバンいけますよね。
少なくとも、欲しいものはある程度なんでも買えるようになります。
考え方を変えて、
3日に1回、3万円の利益が出るものが売れたら、それは月収30万。
こう考えたら、幅どんどん広がりませんか?
そして、そこに知名度とかをあげまくる必要性はありますか?
そして、そこに才能は入りますか?
鬼のように高いアクセス数は、必要ですか?
ずば抜けたスーパープレイヤーしかできない事ですか?
10年も20年も、我慢し続けないと到達できない、そんなものでしょうか?
違いますよね。
ちゃんと勝ち方を理解して、1つ1つパズルのように進めていけば、誰だって到達できるものです。
そして、そのための方法も、ぼくのメルマガや、記事もそうですし、色々学べます。
そして、それを形にして、お金に変えるだけです。
なので、大丈夫です。
声を大にして言います。
『あなたでも、達成できます^^』
誤解その2:アクセス集めたり、人を集めるのすごく大変そう
今度は、ここについて考えて見ましょう。
日本人のどれだけを、あなたのお客さんとして考えますか?そもそも、日本人のどれくらいが、インターネットを使っているのか、まずはそこから。
日本人の中で、インターネットを利用している人は、何人いるか、知ってますか?
答えは、約1億人です。
この1億人の中に声をかけて、あなたのところから商品を買ってくれる人が何人か現れたら、あなたの足枷は、晴れて無くなるのです。
つまり、、自由です。
これ、難しそうですか?
だから、”プロブロガー”と呼ばれるような人たちのように、月間で山のようなアクセスを集めたりする必要なんて、どこにもないんです。
だから、アクセス数を集めるために、何かSNSを鬼のように駆使して、、、とかする必要もありませんし、スポーツ選手のように、たった数十人、数百人で、高みを競うようなこともありません。
誤解その3:ひとりで生きる道を選んでいる人は少なそう
ここについても、日本お社会の中でスポットライトが当たらないだけで、結構人数はいます。
そういった人が”目立たない”報道がされてたり、風潮があるだけです。
例えば、
・日本の社長の数は約400万人
・個人事業主の数は約330万人
です。
トータルでいうと、100人中6人は、個人で生きてる人がいると言えます。
もちろん全員がうまくいっているわけではありませんが、、それだけたくさんの人たちが、自分の力で稼ぐ道を選び、そして実践しています。
それだけ、成功のできる可能性があり、もっと言えば、今のあなたのように「人生を変えたい」と思っている人がいる世界でもあるということです。
縛られたくない、、と思いながら、でも行動せずグチばかりの人も数多くいますが、チャレンジするということは、同じ価値観の人と繋がるということでもあります。
ともすれば、気があう人と巡り合う確率だって高くなりますし、同志として高め合える人の存在と出会える確率も高くなります。
こう考えたらわかりやすいかもしれません。
今のあなたの身の回りの人たちの中で、稼げる仕組みがあるから、起業しよう!といった場合、どんな目をされるか、、、まぁ想像しやすいですよね。
でも、これから先の展開でつながった、あなたと同じように「変わりたい、人生進めたい」と思う人たちとに対して、同じことを話した場合、ちゃんと伝われば応援してくれそうじゃないですか?
少なくとも、頭ごなしに否定する人は、少なそうですよね。
これが、どの世界に身をおくか。
ということでもあります。
少し話はずれましたが、
・100人中6人は、自力で生きることを既に選択していること。
・その人達となら、より意気投合したり、人生のQOL(クオリティーオブライフ。わからなかったらググってください。)も跳ね上がる可能性が高い
以上の2点は、理解いただけるかなと思います。
以上、誤解その1〜その3は、理解いただけたでしょうか。1人でも多くの人に、『普通の人でも成功できる余地は十二分にある』ということが伝われば嬉しいです。
番外編:学歴社会=時給。まずはここを理解するところから
フリーランスで生きるようになってから、
ついこの間まで、貧乏な母子家庭のお母さんだった人が、ほんの数ヶ月や半年で、人生をリセットできたりします。
ぼくは、これまで2000人のグループを運営してたり、ぼくと出会って初月で稼げた人など、数多くの人を輩出してきました。
そして、周りにもぼくと同じような自由な人がたくさん増えました。前にも書きましたが、全員が高学歴・高収入のエリートだったというわけではありません。
高卒や中卒の人だってもちろんいます。
僕自身も、九州の外れの田舎の大学出身です。中学高校と、学校でもワースト3に入る成績でした。150人中149番か150番あたりの常連でした。
もしビジネスが難しくて、
ごく一握りの頭のいいトップ層しか成功できないなら、
ぼくは成功できてませんよね。
ジャパニーズドリーム。
下克上。
逆転現象。
それを成し遂げられるのが、この世界です。
一般的に、優秀と言われる人ほど、プライドが高かったり、自分の肩書きに固執するものです。そして、ちょっとチャレンジしたらすぐに結果出るのに、腰が重かったりします。
その面から考えると、ある意味では今何もない、飢えてる人のほうが、ハングリー精神があり、
その気持ちが、熱量に変わりやすいのかもしれません。
もちろん、向き不向きがあるのではなく、
プライドなんか捨てちゃって、
行動にコミットできるかどうか
ここが結果に繋がるのはいうまでもなく、その上での話です。
なぜ「時給」の観念があるかというと、それはステータス(学歴、肩書き)を収入のモノサシにするためです。
優秀と言われる(言われてた)人たちが、プライドを保つためのようなものとも言えます。
でも、考えて欲しいんです。
時給、、、ということは、労働収入。
働かなくなったら、終わりです。
だから、いい大学に入り、いい会社に入り、いい肩書をつけ、「時給の世界」で戦ったとしても、手に入るのは、『世間体的に良し』とされるイメージだけです。
そんなプライドなんて微塵もないぼくは、公務員を捨てるのもあっさりできたから、今があるってことですね。でも、多くの同僚は、『わざわざ学歴が関係ない起業の世界に入るなんて、、、』と言ってましたが、、。
もろにその構図だということです。
過去のぼくの同僚は、結果的には、世間が良しとする職業を順当に続けています。でも、、目は死んでます。
めちゃくちゃ忙しい生活と人より少しだけいい給料を手に入れて、「俺たちは勝ち組だ」と鼻息を荒くします。
でも、目は死んでます。
一方で、ネットで稼ぐ仕組みを作ったぼくの仲間は、
目覚ましなんか捨ててしまって、
のんびり何ヶ月も旅したり、
人間関係に消耗しない生活を続け、
20代や30代で月収100万とか200万とか稼いでます。
でも、公務員の元ぼくの同僚は、月収100万だなんて、生涯もらうことはなく、、、そして目は死んでます。
比べると、なんだか不思議な感じがしませんか?
これが、日本が作ってきた『働きアリとしてのサラリーマン』の世界であり、ある種洗脳の構図です。
もちろん、フリーランスとして生きる仕組みを作ることが楽というわけではないですが。。
でも、どれだけ難しかったとしても、そこに半年、1年、、と頑張って、その後の人生を自由に生きる選択権を手に入れたほうが、老後まで束縛の多い暮らしを送るより全然楽だと思いませんか?
ぼくは、どう考えてもそっちの方が素敵だと思いました。
そして、そのような人を育てられる自分になれば、より素敵だと思いました。
差し押さえをするより、
法を守るだけの、鼻息が荒い肩書きなんかより
よっぽど輝いている、、とさえ思いました。
あなたは、どうですか?
ぜひ、1度しっかりと考えてみてください。
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