「何者かにならないといけない」
「何者かになりたい」
現代を生きるぼくらは、日々そんなことを考えているのではないでしょうか?
というより、メディアにそう踊らされているとも言えます。
これは実際、今SNSでインフルエンサーになろうとあの手この手を尽くしている人が爆増していることからもわかりますよね。
でも、そのフェーズを通り過ぎたぼくが考えるに、むしろ一周回って『何者にもならない』というのが無敵だよって話をします。
※この動画は限定公開コンテンツ『裏よか』で公開しているものをピックアップしています
目次
『何者にもならない』から人に求められる
いやいや意味わからん。何者でもないモブなんて誰からも求められないだろw
って、普通の感覚だと思いますよね。そりゃそうだ。そこら辺の凡人のおっさんよりも、有名人の方が人は集まってますしね。
でも、例えばあなたが有名人だとして『本当の意味であなたを求めている人』はいったい何人いるでしょうか?
100万人のフォロワーがいたとして、それは肩書や実績に対して集まった、ラベルしかみてない有象無象だったら?
反して、そこらへんの凡人のおっさんでも、多くの友人や家族に心から愛されていたら?
果たして、どっちが本質的な意味で、人から求められているでしょうか?
そのあたりのロジックをば。
友達になろうよ
真の意味での求められる関係って、総じて友人関係みたいなピュアな関係です。利害などを超えた、純粋なつながり。
でも、世の中の大半は、利害関係になります。なってしまいます。
その理由が『肩書き』です
『私は〇〇の人です』といわない
肩書はとても楽なツールです。
- 〇〇社の人間です
- 年商〇〇億円です
- 〇〇の専門家です
- フォロワー〇〇万人です
と名乗ることで、目に見えてわかる自分の価値をとりあえず作り出すことができるから。
だからそうやって名乗ったほうが、巷でいうマーケティングはしやすいし、お金も稼げます。
形式的には、求められている状態になるし、価値を感じさせやすいからビジネス的な意味では成功するでしょう。
でも、その時に周りにいる人が実際に見ているのは、見ているのはあなた自身ではなく、あなたのラベルです。
肩書きを名乗った瞬間『競争』にさらされる
『私は〇〇の専門家です』と自分のラベルを決めた瞬間、その業界の中の競争にさらされてしまいます。
当たり前ですが、ある分野において自分以上のスペックを持っている人なんて腐るほどいます。自分よりすごい人なんてあとからいくらでもでてくるわけです。
YouTuberの中でも、数年前は人気だったのに、同じ系統のチャンネルを芸能人が開始して、あっというまに忘れられてしまう…なんてことはけっこうあります。
その理由が、肩書に頼っているからです。
肩書は便利だけど、あなた本人じゃないといけない理由を自分で摘んでしまうわけです。
あなたがテレビに出たことがある有名バリスタだとして、その肩書に集まってきた人は、有名バリスタのいれたコーヒーが飲みたいだけで、あなたがいれたコーヒーが飲みたいわけではない、ということです。
『俺は俺』背中で自分を語ろう
肩書なんてものはただのラベルです。ぼくらの本当の価値というのはその程度で語れるものではないはず。
自分自身の背中で自分自身を語り、それで惹きつけた人としか、そもそも友達になれないわけです。
逆に言えばそれができれば『何者でなくても』人から求められるし、それができなければ、そうはならないわけです。
何者にもなってないから、人から求められちゃう
何者にもならず、固定されていないから「その人自身として」いろんな方面で活動しているから、その人の話を聞きたくなるし、魅了されてしまう。
プロのサッカー選手でしかない人の話は興味わかないけど、ほかの方面での活動もしていて、何者でもないサッカー選手の話は聞いてしまう。そんな感じ。
本田圭佑さんとか中田英寿さんとかそんな感じじゃないですか。
彼らはサッカー選手だし、実業家だし、活動家でもあるけど、そのどれもを固定してません。
つまり、サッカー選手でもないし、実業家でもないし、活動家でもないともいえます。
彼らは何者でもない。ただの本田圭佑であり中田英寿として純粋に人から求められているわけです。
僕らが目指すのは、そういう存在です。
裏よか、はじめました
ぼくのやってるYouTubeチャンネルの裏Ver.です。
自分でいうのもなんですが、結構ディープな経験もしてきているので、あまり表で話せない内容をクローズドな場所で限定公開の動画で出していきます。
毒舌で刺激的な動画をがっつりお届け。もちろん、無料。見てよかったと思ってもらえるとお約束します。
田舎出身の元ホームレスが王族に…!?という秘密も公開しちゃうかも。
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