〜introduction〜
悲しきことの多きこの世界で、
ぼくらは何を為し、どう生きていくのか。
その目に宿すのは、光か、それとも。
数おおい『成功者らしい』人が群雄割拠の、このご時世。
「救いの光に見えるナニカ」が、
目まぐるしく生まれ、そして罵倒され、消えていく日々の中で、
ぼくらは、何を抱き生きていくのか。
多くの人が、自分の承認欲求に生き、
自分たち「が」で楽しかったらそれでいいじゃんと「打算」で日々を暮らし、
社会に「腰掛け」で生きているのが「普通・当然・常識」の中で、、、
自分の生き様、生きる意味、生きる意義、
そんな「青臭い」ことを、未来の可能性を、
『捨て去る・諦める』ことが「大人になった」と称される、この世界の中で、
ぼくらは、誰と笑いあい、誰と共に歩き生きていくのか。
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どうも、赤原です。
このページでは、先ほど書いた
『ぼくらは、誰と笑いあい、誰と共に歩き生きていくのか。』
に対する、ぼくなりの『こんな感じじゃね?』という、
人によっては「答え」とは感じられないかもしれないですが、
ぼくなりの『道、筋道』に近しいものをお伝えできたらなと思っています。
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『ぼくらは、誰と笑いあい、誰と共に歩き生きていくのか。』
について、1つは、ど直球でのもの。
もう1つは、エンタメを通して学べるもの。
この2つを用意したよ。
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って感じです。
それぞれ紹介しますので見てみてください。
1つ目が、YouTubeチャンネルです。
ぼくは今「淡路島よかろーもん」という名前で、
釣りやミニ四駆、魚を捌いたり、料理をしたり、、、いろんなことをやっています。
こんな感じです。
なぜこういうことをしているのかと言うと、先ほど書いたとおり『1つの手段だけ』では限界があるからです。
だから
・『事業外』の切り口で、
・なるべくエンタメで、
「あー、、これが“自分らしさ”に至る」ってことか、と、
「あー、こうやって、こだわりをこだわりとしない世界に至るのか」と、
学べる場を作りたい。そう思ったからです。
基本的な「“あわよか”に対する思い」は、こちら(あわよかのページに飛びます。)にまとめているので見てみてください。
そして2つ目。メルマガです。
こちらでは、先程のYouTubeチャンネルの裏側として、
ぼくがそう言ったことをやろうと思った「裏側・キッカケ」などを語りながら、
・なぜ、そこに至ったのか。
・なぜ、単なる「ネット人」で終わらず、起業家で生きることをせず、そいうった「パッと見、人生にとっては余計なもの」と思われるようなことをやっているのか、、、
などについて、触れています。
個人的には、ですが、
学歴、稼ぎ、知名度、規模、、、などよりも、
「釣りやミニ四駆、魚を捌いたり、料理」の方が、
人生にとって“必須”だと思っています。
その理由について、いろんな切り口から伝えられたらなと思っています。
ちなみに、メルマガのタイトルだけでもまとめられたらな、、と、言うことで、一部抜粋します。
こんな感じです。
・「不埒なお話し。『あげ〇ん、さげ〇ん』理論」
・「知性と人間性論」
・「人生の最高教育機関」とは。
・「ツイテル・ハピハピ」と「日本〇ね」論
・「札束の山より腹筋崩壊の友のススメ」
変なタイトルばかりですが、ただ、割と人生何周もしてきているからこそ、書ける内容であることは伝わるかなと。
ちなみに、ぼくは、これまでこんな生き方をしてきました。
ぼくのメルマガでは「フラットに学び・判断の土台にして欲しい」そう思って、全メールを5分〜8分くらいで読めるように準備しました。
なぜ「メール」かと言うと学んで欲しい順番に届けたいからです。
ブログなどでもいいんですが、物事には道理があるように、思考にも道理があります。
だから、さしずめ、ネット版『現代の寺子屋』だと思ってもらえるものを創りたいと思った時『メール、一択じゃん』と。
ちなみに、1日2通。
『朝7:15、夜20:15』の2回に分け、お届けしていきます。
朝の部では、なるべく1日の襟がただせるような内容を。
隙間時間で読めるように、文章でお届けします。
そして、夜の部では、、脳みそに負荷をかけまくって自問自答してしまうような内容を。ガッツリと情報をお渡ししたいので、動画講座をお届け。
この2本立てでお送りします。
さて、、、
と、言うことで、前振りが長くなりました。
以下、ぼくが思う、
『ぼくらは、誰と笑いあい、誰と共に歩き生きていくのか。』
について、触れていきます。
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では、話していきますね。
「幸せ=過去最高に好きな自分を、毎日更新し続けること」
ちなみに、以下にまとめていくことは、ぼくは「自分の在り方論」だと思っています。
とはいえ「自分の在り方論」と急に言われても何?って人もいると思うので、簡単に説明しますね。
端的に言うと「自分の可能性」についての話です。
なぜ、これを語りたいかというと、
ぼく自身が自分の可能性に、つい最近まで期待してなかったからです。
3歳くらいで人生に絶望して、
正直、人生に期待が持てると本気で感じだしたのは、32歳からです。
ちなみに、その転機こそが「自分で未来を考える」ことであり、
自分の道を、自分で創作すること、でした。
そのためにやったのが『無駄に見える』ことだったんですね。
これは、一見すると「趣味を仕事にしよう」という巷的な発想に見えると思います。
でも、違うんです。
ぼくが言いたいのは、ただ1つ。
「人生で大事なこと」と思ってることって、「誰が、大事だと決めたの?」と。そこなんです。
自分「が」経験した上で、その道を極めて、その上で「これは、めちゃくちゃ大事だ」と、肌身を通して感じたことであれば、それは「人生で大事なこと」だと思います。
じゃあ、そこまでやったの?と。
そう考えたら「違う」はずです。
と、、言うことは、言い換えると『大事なこと=誰かから刷り込まれた、受け売り』になるわけです。
だから『人生が、借り物に感じる』と相談されたとして、ぼくからの答えは『受け売り、刷り込みで生きているわけだから、借り物感がして当然だよ』と、なるわけですね。
以上のように考えた時、
ぼくが伝えたいのは、ただ1つ。
「自分の足で歩こうよ、意思決定を自分でやろうよ」と。それだけです。
ただし、条件があります。
「自分が、自分に対して、誇れるレベルでやること」です。
誰かに認められるため、とか、
承認欲求のためとか、
そう言った「ヨケイナモノ」を意識するから、
ぼくらの行動に「自分じゃないといけない理由」が入らなくなるからです。
見るべきものは、内側。
借り物に感じる人生しか送れない理由は、
「人が定めたルール」で生きているからです。
なら、対策は明確で、
「自分で決め、自分でやる」そこに尽きます。
そのための考え方をまとめたのが、メルマガだよってことです。
◆◆ 最高の大人って ◆◆
さて、ここで考えて欲しいことがあります。
それは『最高の大人ってなんだろう』と言うことです。
今でこそ、ぼくは、友達と気兼ねなく釣りをしたり、ミニ四駆をしたり、そんな「自分だからこそ作れる、事業以外も含めた“質・抽象度”の統一』を意識して生活していますが、
ちょっと前までは、周りの人に直接的に「生き方、在り方」を唱えることに悦を感じてた「教育者かぶれ」でしたし、
その前までは数字・規模・速さなどを意識した「The 起業家」的な思考をしていました。
で、思うんです。
愚かだったな、と。
自分が「これが好き」ってハマることって、怖いなと。
この発言は、先程の「ぼくらが、やる」と相反するように感じると思います。
でも、同じなんです。
「ぼくらが、やる」と言えるためには、
「好きであり、得意」という感情を、コントロールしないといけないからです。
簡単に言うと、普通に生きている中では、
「好きであり、得意」なものとは、
誰かに認められるため、とか、
承認欲求のためとか、
そう言った「ヨケイナモノ」を意識した結果、
そこを「満たすことができるもの」として、感じちゃっている可能性があるからです。
つまり、本心ではない可能性が高い、、、からです。
巷の、肩書き3つつけて、100万分の1の存在とか、パターンに落とし込むエニアグラムとか、適正診断は、これの更なる劣化版だなと。
だから、起業を志した時によく話される、、、と、いうか、ブログによく載っている「自分の強みの見つけ方論」とか「過去の自分の振り返り」とか、まるで意味がないように感じて「当然」なわけです。
悲しいかな、そう語る人は、ほぼ全員「自分の道」を歩いていないわけで、その彼らの知識を元に、新規の人がそこに活路を見出そうとするから、巷は壮大なマウント合戦になるわけですね。
そもそも、知識もノウハウも含めて、「便利なものって全て“無個性”」だからです。
そもそも、便利って尺度は「全員共通のもの」だから、無個性にならないと便利にはならないからです。
と、言うことで、そんな世界で生きている以上、
・何か興味・関心を持った対象がある
・これをやってみたい
・人生で、ここに力を割きたい
・自分の強みは、これである
的な思考をした場合、そういった「思い」の裏側には、ほぼ確実に「見落とされた、見ようとされることすらなかった」そんなナニカがある。。。ぼくはそう思っています。
でも、ぼくらはそこに、なかなか目を向けれません。
なぜなら、ホメオスタシスであり、
コンコルド効果であり、
そんな「心理的要因」が多々あるからです。
で、、、ぼくが思う「最高の大人」って、そんな「心理的要因」も理解した上で、
極力「これは大変そう」とか、ブロックをかけず、
「淡々と自分をフラットに見れ、常に前を向き続け、常に最高の一手を打てる」人だと思っています。
おそらく、その価値について「間違いなく大事」だということは理解できるはずです。
でも、難しい。。。わけですよね。足を止めるつもりがないのに、なぜか止めてしまう。。。そんな人が多いのかなと。
だから、そこに「至る」ための在り方であり考え方をまとめたよ、それがメルマガだよってことです。登録はこちらから
◆◆ 最高の大人になるために学ぶべき要素とは。 ◆◆
そう考えたとき、やっぱり「自分をコントロール」する意識って大事だということは感じてもらえるはずです。
そして、ぼくは、その「自分をコントロール」する考え方こそが「哲学」だと思っています。
巷では、いろんな「ノウハウ」が溢れていますが、それは『お金などの“モノサシ”を集めるための』考え方です。一方で「哲学」はというと、、『“人生あらゆるタイミングでの壁を超えていく”ための考え方』だというわけです。
だから、まるで違うわけですね。
さて、、、
巷を見渡すと、いろんな知識・ノウハウで溢れてることに気づきます。
やれ、お金稼ぎだ、
やれ、出版だ、
やれ、セラピーだ、
そんな感じで。
でも、個人的には全て色褪せて見えます。
なぜなら、どんなに知識・ノウハウを得ても、
どんなにお金を稼いで知名度をつけても、
それは「持たぬ人に対してマウント」は取れても、それでその効力は終わりだからです。
なぜなら、先ほど書いた通り「便利なものは、無個性」だからです。
無個性で着飾った結果、より無個性な「持たぬ人」しか、相手にできないわけです。
そう考えると、人生の壁を切り抜けるために、知識・ノウハウは、一見必要そうですが、実は不要である場合って多々あるわけですね。
だったら、、、じゃあ、何が大事なのか。。
この問いに対する答えが、
ぼくは、哲学であり、
言い換えると、物事の先見力であり、
人生の「俯瞰力」だと思っています。
「俯瞰力」とは、先程の、
好きを好きとせず、得意を得意とせず、
嫌いを嫌いとせず、不得意を不得意とせず、
いろんなものを「フラット」に観察しながら物事を考えられる力のことです。
この哲学であり、先見力であり、俯瞰力については、
社会問題から、家庭問題まで全てにおいて、
全ての土台になることです。
だから、「哲学であり、先見力であり、俯瞰力」だけは、めちゃくちゃ大事にした方うがいい、、このことだけは、断言できます。
そして、逃げのひと言に見えるひともいるかもしれませんが、
冒頭に書いた、
『ぼくらは、誰と笑いあい、誰と共に歩き生きていくのか。』
に対する、ぼくなりの「答え」に近しいものとは何かと言うと、
『全部背負って、自分で見つけだしに行こうぜ』と。
『だから、日常の全方位、自分が全てを背負ってやろうぜ』と。
ぼくのYouTubeチャンネルは、それを体現しているつもりだし、
メルマガ寺子屋では、その過程で見えたことや、
学歴・高収入などの道に進んだ知人・起業家を見て、
ぼくが感じていることなど、、、
いろんなことについて触れています。
もちろん、
『全部背負って、自分で見つけだしに行こうぜ』と。
『だから、日常の全方位、自分が全てを背負ってやろうぜ』と。
この基本メッセージに基づいて、
「だったら、赤原は、どうやって人生を組み立てようとしているのか」についても、語っています。むしろ、それが主題です。
と、言うことで、
メルマガ寺子屋は、こちらです。
見て損したーってものは作ってないつもりです。
最後に。
最後の最後まで見た人にだけ、言いたいことがあります。
お金、知名度を求めなかったって、お金も仲間も肩書きも手に入ります。
それは、ぼくのプロフを見たらわかるはずです。
だから、全ては自分次第だし、誰をみて、どの基準を受け取り、どこを描き歩むかだよってことを伝えたいなと。
では、メールでお待ちしてます^^
PS:このメール講座の登録は、Gmailをお勧めしています。
Yahoo、各社キャリアのメールは、届かない可能性があるので、お手数ですが、Gmailで登録したか、確認をお願いします。
また、見落としがないように「Gmailの中で、振り分け設定」をすることをお勧めします。
そちらは、「Gmail 振り分け設定」と調べたら出てくると思うので、忘れずにどうぞ。
メルマガ寺子屋は、こちらから。