どうも、赤原です。
今回は、お金について、ちょっとだけ個人的見解をまとめます。。
MLMや、ネットビジネス、アフィリエイトに携わってきた身として、散々言われたのが、次の言葉です。
・人生はお金じゃない
・お金で買えないものがある
・お金が全てじゃない
・お金の亡者
・お金が汚い
などなど。これ、どう思いますか?
おそらく、この記事をみているあなたも、これを1度は思ったことがあると思います。
また、上記のような批判を周りからされるんじゃないかと思って、本気を出すのをためらっていたり、二の足を踏んだりしている人もいると思います。
ただ、個人的にはここについてウダウダ言ってもしょうがないって思っています。
だからこう答えます。
”ぼくは「世の中お金」だと思っていますよ。と。”
結構びっくりじゃないです?
でも、そのことについて、理由付きで説明したら意外と多くの人が納得してくれるので、その視点をこの記事では書いていきたいなって思っていま。
誤解のないようにしておきたいのは、「お金がすべてではない」のは、ぼくも100も承知だと言うことです。
ただ、ですね。
例えば、次の問題がおきたらどうするでしょう。
家族がガンになったら。
健康保険でも、医療保険でも、適用できる範囲が決まっています。
さらに言うと、例えば、先進医療という保険の適用外の治療をやろうとした場合、かなりの額の手出しが必要となります。保険適用外で、300万とか平気でかかるものだってあるわけです。
でも、当然この治療をしたからといって、100%治る確約はどこにもないわけで、これを、複数回やる羽目になることだってあるかもしれません。
と、いうときに。
気持ちよく、ギスギスせずにお金を出せるか出せないか。これって、人情じゃないです?
それこそ、先程「お金=人情ではない」って思った人。どうでしょう。
一周回って、ピンチの時には『お金=人情』になっちゃうわけです。
それこそ、ぼくは今無料のコワーキングスペースをやり、なおかつ、食事代も家賃も全部面倒を見るってことをやっています。でも、yこれ、お金を持っているからできることですよね。
あ、別に金持ちアピールをしたいわけではなく、ぼくは、お金がない時代から、これに近いことをやってきました。理由はただ1つ。ぼくのことを信頼して、共に進みたいって思って行動する人を見殺しに、できないなって思うんです。
そんな行動をしていたら、ぼくは自然と稼げていた。みたいな感じです。あれ、やっぱりこれはお金持ちアピールでしょうか。でも、それこそ、お金を持っていないからと見殺しにしたら、それは、非人道的にもぼくは感じるのですが、どうでしょう。
結局のところ、これって、お金があるかないかで、そもそも人情の定義が変わるし、お金の定義だって変わるわけです。
つまり、自分が使う側か、それとも批判するだけで終わる、ある意味「モブキャラ」としてのパーソンAで終わる人生で過ごしているか、です。
言葉は悪いですが、これを直視したら全てが一気に変わります。
それこそ、お金がない場合、病気に対する弱さはクソ高いです。一度治ったとしても、その未来は次のリスクに弱いのも、容易に想像つくと思います。
こう言った、お金で解決できることが世の中に多いからこそ、世の中、金だということを、前提に置く方が、好き勝手に生きられるんじゃないかなと。
ちなみに、そんな思いで書いたメルマガがこちらです。
見てみてください。きっと納得するはずです。
他にも理由があるので、以下まとめてみます。
目次
貧乏だと、圧倒的に無理ゲーの時代
先ほど、ガンのことに触れました。
でも、自分・自分の周囲が発症しなかったらいいだけと思っている人もいるかもしれません。
確かにそうでしょう。ガンだけ、ならね。
ガンが怖いのは「結局、予定外のもしも」に振り回されるからです。違いますか?
ただ、ですね。残念ながらそういった「最悪のもしも」に遭遇する機会は、限りなく100%に近い確率であなたを襲ってくるわけです。データがあります。
例えば、
・ガンを発症する確率:国民の2人に1人。
・離婚率:2組みに1組み
さて、どうでしょう。
どんなに否定したいとしても「いわゆる、普通」の暮らしをしていたら、例えば、結婚している人なら、自分のパートナーがガンになるか、もしくは自分の家庭がバラバラになるか、どちらか該当する可能性が高いということです。
そして、残酷な書き方をしますが、ここで「うん、そうだね」って言えない人こそ「普通の暮らしでいい」って言い方をして、お金稼ぎを否定したりする傾向にあります。
それ、無理なんですよ。少なくとも、ぼくは直接10000人近く教えてきましたが、その実体験として、ね。
とにかくバランスのいい思考をしよーぜ。
さらに追撃します。
離婚の原因についても、
・共働き
・育児
・家事の分担
など、いろんな原因があると言われています。
が、、、。そもそも、
・共働き→たんまり稼いでいたら、夫婦共にニートだって可能
・育児→夫婦共にニートだったら、趣味で子育てできる
・家事の分担→嫌なら、家政婦さんに外注して自動化したらいい
というように、お金で解決できることが、かなり多いわけです。
ってことは、お金がたくさんあったら、離婚率も減るし、それこそ、出生率だって上がるんじゃね?義務教育で教えることってお金稼ぎだけっしょw
って思うのは、ぼくだけでしょうか。まぁ、だからぼくは「放置で稼ぐ」ことを前提としてメルマガをやっているわけです。なぜなら、お金稼ぎ以外のことに専念して欲しいからです。
放置で稼ぐ=ほんとの意味での自分の人生のスタートなんですよ。
何か間違ってますか?
働けなくなったら困る仕事は、お金のため
日本人のほとんどが、正社員・アルバイトなどの肩書きや、雇用の形態こそ違えど、サラリーマンだと思います。
では、またここで考えてみましょう。
ほとんどの人が、定年まで働くなどの「雇用の安定」を求めるわけですが、それってなんのためでしょうか。
答えは簡単。お金のためです。
結局、人生お金じゃねぇって言う人ほど、カネカネした思考をしてるんですよw
っと、ムカついた人もいるかもしれないので、例を挙げて説明しますね。
それこそ先程のガンの患者にお医者さんが入院を勧めています。
そしてこの時、患者さんがサラリーマンだとしたら、おそらくですが恐怖でしょう。
ただ、その時に「自分の健康」意外に1%でも心配があるとしたら、ぼくは基本的にその理由は「お金」だと思うんです。
それこそ、家族への負担も、確かに心労面もあるでしょうが、その理由のどこかに金銭面があります。
それこそ、保険に入っているから安心というのも、金銭面でしょう。
加えて、
・会社に迷惑が、、
・クビになるかも、、
などを心配しているとしたら、それまた金銭面です。
さらにここで、極論をぶつけます。
あなたの人生の最後の日まで、毎日1000万もらい続ける生活があるとしたら、今の仕事をしますか?
どんなに豪遊しても使いきれないだけの資産を持っていたら、今の仕事をしますか?
この問いに、即答で「それでもまだ仕事をする、学校にいく」と答えられないならば、今あなたがしていることは、お金のためです。
信用経済、評価経済の落とし穴
いかがでしょう。
以上を見ても、まだお金を稼ぐことを「汚いこと」だと言い、後回しにしますか?
なお、ここで1つ理解を正したいのが、評価経済・信用経済という言葉です。
この言葉の意味を知らない人のため解説すると、この言葉は、信用があれば、お金は作れるという考え方です。
、、、果たしてそうでしょうか。
もっとも、個人的にはこの言葉の「理念としての」素晴らしさは知っているからこそ、あえて「理念だけじゃね?」と言いたいなって思います。
理由があります。
それは、そもそも、ネット上で測れる信用には、限界があるからです。その限界を作っている壁はいくつもありますがここでは2つ提示します。
1つ目は、「信用」と思うものほとんどが「信用ではない」ということ。
2つ目は、「ネット上から消えたら終わり」ということ。
以下、まとめていきます。
※以下、知人のブロガーを例に出したりといくつか比較をしていきます。
が、なんらブロガーを否定している訳でもなく、単なる「例」として出しているだけです。ぼくもブログを通した情報発信しているし、ブロガーは1つの生き方として、素晴らしいものだと思っています。あくまで「例」なので、ご了承を。 |
落とし穴1:「信用」と思うものほとんどが「信用ではない」
では1つ目から解説します。
ぼくの知人で人気ブロガーと呼ばれる人がいます。
彼は月間70万PVほどある、かなりの人気ブログを運営しています。
ただ、彼が実施したクラウドファンディングでは、100万ちょっとの支援額を、かなりゴリゴリ案内しながら達成していたわけです。しかも、炎上しながら。
これ、ぼくはかなり違和感だったんですよね。だって、ぼくは、100万程度なら日商で稼げるからです。しかも、周りは喜んでお金を払ってくれている関係のままで。
ふつーに考えて、どっちがいいです?そう考えたら、ぼくかなと思うのは、自分のエゴでしょうか。
念の為、彼の信用を額に換算します。
かなり強引な計算ですが、100万の支援額を、月間PVで割れば、一応『いち視聴者あたりの支援額』が出てきます。そうしたら、、、驚きの結果が。
計算したらわかるが、一人当たりの支援額は、2円もないわけです。
つまりは、あなたの価値、2円だよ。って言われているようなものです。
ちなみに、これ、ブロガーをディスってるのではなく、そのブロガーの努力の仕方がもったいないって言ってるだけです。ロスが多いことを「損じゃね?もっとやり方あるんじゃね?」って言ってるだけです。
なぜなら、ぼくの教えた人は、ブログすらしていませんが、ほんの200人ちょっとから、1400万を稼いだりしているからです。しかも、炎上の煙すら立たず。
どっちがいいです?
つまり、メルマガ部数が大事なんじゃないし、フォロワーが大事でもないんです。
さぁ、信用経済とかいう人たちの根底がどんどん覆っていきますね。
さらに思考を深めましょう。
ここでクラウドファンディングと、サービスの違いを考えてみてください。
クラウドファンディングとは、「将来こんなリターンをするから〇〇円ちょうだい」というお金の集め方です。
サービスは、「こんなサービスするから〇〇円ちょうだい」というお金の集め方です。
前者は何か良さそう!というイメージがあり(さすがに、もう無くなったかな)、後者はいわゆる普通の話です。ですが、こう比較すると、なんら違いがないことがわかるんじゃないでしょうか。
・クラウドファンディングだから、なんとなくクリーン。
・サービスだから、ちょっと胡散臭い。
そう思う人が多いと思います。
でも、本質的には、なんら変わりないんです。
その上で、もう一度比較しましょう。
・1人から2円ももらえない70万PVの知人のブロガー
・200人から1400万をもらえたクライアント
どちらの方が、ほんとの意味で「信用」されたのでしょう。
確かに、PVも、フォロワーも大事です。メルマガ部数だって大事です。
でも、巷のネット起業家と、ぼくとでは、メールの開封率だって違います。
巷のネット起業家はメールの開封率が1%いくか行かないかです。でも、ぼくは90%超えたりします。
証拠画像です↓
ちなみに、これ、有料講座に参加した人たちへのメールとかではないです。なおかつ自動で配信しているメールでの数字です。
でも、これを見てでも、メルマガ部数だ、とか、PVだ!とか、フォロワーが全てだという言い方をする人は、よほどのバカか、お天気ものか、無知かのどれかだと思います。
確かに、お金を払うということは、不安を伴うことです。
はたまた、自分の前提としていた考えを覆すことだって、不安を伴うことです。
でも、事実は事実です。稼げる、自由を手にできる人は、ここで「行動を変えれる」人です。ぜひ、思考をフル回転で維持しながら、読み進めてください。
さて、先程のブロガーの知人と、1400万得たクライアント。どちらが信用であり、それこそ信頼があるでしょうか。
つまり、お金を払って未来の価値の提供が期待できるという「信頼」があるかどうか。ここになってくるわけですが、、、。
視点を変えると、お金を払わないということは「不安の方が、信頼・信用に勝った」というわけです。
つまり、知人のブロガーの70万人の読者のうち、支援しなかった人たちは、その知人ブロガーに対して「興味はあるけど、お金を払う“信頼、信用はない”」ということです。言い換えると、利用価値はあるけど、好きじゃあない。信用・信頼していない。というわけです。
これこそが、評価経済・信用経済の落とし穴です。
多くの人は、表面上の数字集めに走ります。メルマガを集めたり、フォロワーを集めたり、PVを集めたり、、、。でも、そこに走ってどうなるかというと、地獄を見ます。
いざ、売ろうとした時に、反応がゼロ、、、。そんな人をたくさん見ました。
だからこそ「やっぱり、お金が全てだ」という認識で、ぼくらは行動すべきだと思います。なぜなら、自分の診断ができるからです。
お金の「関門」は、さっさと設けるべきです。
で、さっさと自分がイケてるかイケてないか。現実をみましょう。
その瞬間は、きついかもしれませんが、その診断を後回しにして、長い時間をかけた先に「直視せざるを得ない現実」が訪れた時の方がよっぽど辛いです。
お金の支払いのタイミングで、躊躇するような関係性は、所詮表面上です。
だから、人払いをしてあなたが身軽になるためにも、そして、自分の時間を「好きだと言ってくれる人ではなく、お金を払ってくれる適正評価をしてくれる」人に使うためにも、さっさと売りましょう。
落とし穴2:「ネット上から消えたら終わり」
これは、言葉のとおりです。
「インフルエンサー」と呼ばれる人が誕生し、久しくなります。
多くの人が憧れ、彼らを目指していろんなビジネス活動をします。
ですが、考えて欲しいんです。
彼らが、病気になったら。華々しい活動をできなくなったら。
指や体が動かなくなったら。
彼らはどうなるでしょう。
最初は、支援をする人がいるかもしれません。
では、それが仮に10年、30年、50年と闘病生活が続くことになったら。それでも支援する人は出てくるでしょうか。そう考えたら、微妙だなってぼくは思います。
ネットから消えたら終わりということは、そういうことです。
TikTokとか、YouTubeとかまさにそう。ビジネス系YouTuberとか人気ですが、でも、自分が露出することで、売り上げをあげる形態って「人気っぽそうで、オワコン」なんです。
なぜかって、ずっと続けないといけないからです。
それ、ぼくは嫌なんですよね。
なるべく寝てたいし、釣りしたいし、好きなことに時間を使いたいし、好きだなって思う仲間とウェイ!ってする時間が好き。
だから、ぼくが自分で自分に癖付けているのは、自分のお客さん候補の人たちに「だけ」でいいから、自動で認知され、自動で集客し、自動で、商品提供し、自動で、売り上げが上がる仕組みです。
そしたら、その人たちは、仲間候補にもなるかもしれないし、今の仕事の時間と、売り上げの時間と、未来の時間、全てが連動します。
寝てて売り上げが上がるとは、つまりそういうことです。
じゃあ、ここで聞きます。どっちがいいですか?
ぼくの仕組みがいいって人は、これ見たら学べます。
この世は、全て資産がある人が有利だ。でもそのためには、知識が大事だ。
とにかく、世の中の情報は、全て裏があると思った方がいいです。
それこそテレビCMや、YouTube、ラジオ、いろんな媒体で行われる世の中のプロモーション(広告)には、全て裏があります。
さて、ここで知識が大事だって話をしましょう。
例えば、コーラのCM。
普通に考えたら、コーラを売るための広告に見えると思います。
でも、視点を変えたら、
例えばビタミンCと、安息香酸ナトリウムが合わさった飲み物は、劇物のベンゼンになるって知識を入れたらどうでしょう。
もちろん、一概にこれが全てだとは言えませんが、とはいえ、やっぱり見え方が変わると思います。
コーラぷはー。なのか、ベンゼンぷはーなのか。
ヤバさが変わるのは、ちょっとは感じてもらえるでしょうか。
同じように、メルマガと自動化ウェイ!って人だって裏があります。それこそ、自分のコンサル生に中出しウェイ!ってやってたりね。(超絶有名起業家です。K大出身の、塾もやってる人)
もっとも「狙い」については、ぼくにだってあります。
ぼくの場合は、いま、釣りに農業に、、、色々やっているので、心許せて、仕事を預けられる仲間と出逢いたい。ここです。だから、なるべくバランスのいい、真っ直ぐに知識を渡したくて、色々ながーく書いています。
だから、ぼくの場合は、この記事は、将来に向けての投資です。
だから、「盲目的に信じる、思考を回さず、とりあえず人についていく」という行動の危険性を伝えたいなって思っています。そこの鍵は「信じず、疑わず、確かめる」ことです。その意味も込めて、ぼくはメルマガをやっています。
ぼくの論法であり思考を見てもらって、その上で、判断して欲しいからです。
ちなみに、ここで伝えたいのは、『資産を形成しない労働集約的な経済活動』の危険性です。つまり、雇われだろうが、フリーランスだろうが、生き方ミスったら終わるよ。ってところです。
なぜなら、『資産を形成しない労働集約的な経済活動』には、「もしも」の状態への耐性が低すぎるからです。
それが、先程の入院の事例です。
今のあなたの手にしているお金を得る手段は、時間を対価にしてませんか?
そもそも、時間を対価にするってことは、自分の命を削ってるというわけです。
その命、家族の幸せ・笑顔の時間に変えられませんか?
その変えられない理由が、お金が放置で入らないことが理由なのであれば。それ、ある意味「冷徹」だと言えませんか?
そこ変えようぜ。っていうのが、メルマガです。なぜなら、こういった質問に「笑って、大丈夫。放置で得られてるよ」って余裕で答えられない限り、もし、トラブルに遭遇してしまったら、自分が大事な人に負担をかけることになるからです。
もっとも、この点からも、ぼくは「ミニマリスト」も嫌いです。
なぜなら、彼らのいう「コスパ」主義は、まるっきり論点が違うと思うし、浅はかだとすら思うからです。もちろん、ミニマリストもコスパも大事な概念ではあるわけですが、、、それは、「腐るほど稼いだ先」に実行して、初めて意味を為すからです。
間違っても、「そこに10万とかでも、生活できるミニマリストすげーだろ!」と言ったらダメです。なぜなら、その発想は目先の生活に囚われすぎだからです。つまりは、万が一・もしもの事態に弱すぎるからです。
その思考は、自分の将来を「不安」の二文字がつきまとう未来へと全力で舵を切っているのと同じだということを、認識すべきです。
以上のことを知ってみて、いかがでしょう。
まだ「世の中、金じゃないよね」と言えますか?
お金も生き方も、人からの受け売りではなく、自分で判断すること
ここまで書いてきたことは、ぼくがメルマガで話していることの一例に過ぎません。
しかし、いろんな感じられることはあったと思います。こんな感じで、お金がないことで、多くの悩みは引き起こされるし、逆にお金があれば、解決されていきます。
結局のところ「お金がなくて我慢した生活」が普通だという世間の風潮もある意味作られたものだし、「お金がなくても生きていける」という風潮も、作られたものなわけです。
全てはあなたがそこに対して「どう考え、判断するか」次第です。
お金は、無色透明。お金が汚いんじゃない。お金を汚く感じさせる要因は、また別にある。
そして、もう1つ考えて欲しいことがあります。それが「お金が汚い」ということについて、です。
・出る杭は打たれる
・郷に入っては郷に従え
などなど、日本人は「みんなと同じ」に安心を覚える性格があります。
そして、もう1つ、日本人らしい特徴があります。それが嫌儲主義です。
簡単にいうと「稼いでいる人=怪しい、汚い人」みたいなイメージのことです。ね、当てはまるでしょ?
ただ、ですね。どう考えたって、自分の身を守りたけりゃ、大切なひとを守りたけりゃ、稼がないと、スタートラインに立てないわけです。
だから、イメージをそろそろ決着つけないと、どうしたってメンタルブロックがかかります。そうやって、人はスピに走って、ハピハピ教の信者の仲間入りします。
ってことで、考えてみましょう。
なぜ、ここまで「お金が汚い」と思うのでしょう。
結論からいうと、お金が汚いのではなく、お金を原因としてモメる、その当事者片方、もしくは双方の「生き方が汚い」。ここに尽きるとぼくは思います。
例えば、オレオレ詐欺や、巷の情報商材屋さんのように、お金を騙して集める人。
また、評価経済、信用経済に便乗して、私利私欲を肥やす人。
また、お金の貸し借りや、遺産相続。
いろんな面で、胸を張ったお金の得かたをしていない人がいて、はたまた自分の思い通りにしようとする「見えない意図が見え隠れする」人がいるわけです。そして、彼らはなるべく自分のところに効率よくお金が集まってくるようにしがち。
だから、お金を稼ぐことを、彼らの仲間入りをすることのように捉えてしまうわけです。
でも、視点を変えると、ぼくらがそれをしなかったらいいだけです。超クリーンに鬼稼いだら、人生進むぜ。簡単な話です。
あとは、単なるやっかみ。妬み、嫉みです。
でも、これは、ぼくらはやめたらいいだけだし、周りにもそんな感情をぶつける人を置かなかったらいいだけ。これは、どんなに仲よかったとしても、その感情をぶつけてくる人は、いずれ離れます。
だったら、最初から置かなくてよくね?ってだけ。
それよりも、ぼくらが意識すべきは、今日という1日。ぼくたちの、生き方は汚くないだろうか。この問いを考え続けることです。
「責任」について
そこで考えて欲しいのが『責任』です。
ちなみに、英訳を知っていますか?
英語で、責任は「responsibility」と言います。これ、ぼくはめちゃくちゃ合点がいったんですよね。
なお、これは「response:反応」+「ability:能力」からなる言葉です。
つまり、責任とは、反応する能力のことなんですよね。つまりは、自分がどう考え、どう行動し、どう未来を作るのか。それが「反応」である。そんな感じです。
つまりは、能動的行動をすること・つまりは人生に対して反応をすることが、責任のある行動で、受け身の姿勢は、反応しないことであり、責任のない行動である。
これが、英訳をみたら、ばっちり書いてあったわけです。だから、すごく感動したわけです。
一応、ダメ押しとしてこの解釈から、ぼくらの日常を考えてみます。
お金がある人たちの日常は、好きなものを買い、好きなところで時間を過ごし、好きなことに、お金をどんどん費やしていくことができます。
じゃあ、お金がない人たちの日常は、、、好きなものを我慢し、買える範囲の中で、適当にものを買い、食べたいものを我慢し、買える範囲の中で、適当にものを買い、受けたい医療を我慢し、受けれる範囲で、医療を受けていくわけです。
じゃあ、どちらが、自分の人生に対して、責任を持った生き方をしているでしょうか。
批判を恐れずにいうと、前者が責任のある人生であり、後者は違うとぼくは思います。
結局のところ、やっぱり「お金が全て」だと認識した方が、人生進むんじゃね?と。ぼくは、そうとしか捉えられないんですが、いかがでしょう。
そして、それらの差は、お金を得る方法さえ手にしているかどうかです。
手にしていたら、望む生活を送れていたのに、そこに対して到達する行動をしなかった為、我慢した生活を送らざるを得ない状態を作っている人が大勢いる。そのことをぼくは「責任」から学びました。
つまりは、周りには迷惑をかけていなくとも、
・責任のある生き方をできなかったら、
・自分の人生に適切な反応をできなかったら、
・嫌なことを嫌だと言えなかったら、
その人の生き方は、自分に対して正直じゃないと言える為、その生き方は「汚い」。これを、どれだけ見れるかです。
結局、学ぶ相手が全て。どんな人からお金の得かたを学ぶのか。
別に、ぼくの正当性を語るつもりはないし、ぼく以上の人がいれば、どうぞその人から学んでください。
ただ、ですね。なかなかいないのもまた事実です。
巷にいるのは、稼いだ人か、有名な人なだけで「バランスがいい人」はほぼいません。
先ほど書いたとおり、有名な人=バランスがいい人ではないし、
もっというと、有名なオンラインサロンに入ったとしても、その人に巻き込まれるだけです。
だから、あなたが作るべきは、あなたの資産であって、大勢と連んで「ウェイ!」ではない。このことを認識すべきです。
(その「振り回されない資産」の作り方が、メルマガで話していることです。)
これは、また別の機会で書きますが、有名なオンラインサロンに入って、大勢で連んでもいい事なんて何一つとしてないんですよね。なお、学びのために入るのは一切止めませんが、でも、リスクだらけです。サラッとまとめるとこんな感じです。
有名オンラインサロンに入るリスク。(大勢で連むリスク)
・当事者意識が下がる ・自分の資産を作らず、つるんでいるだけで、人生が進んだ気になる ・オンラインサロンでの行動を優先し、他人の資産は作るが、自分の資産がおなざりになる ・ネット集客が一瞬うまくいくように感じるが、そのオンラインサロンの肩書きが通用しているだけで、生身の等身大の本当の自分では通用しない可能性から目をそらしているだけ ・つまり、大勢で生まれた「自信」は「勘違い」である可能性が高い ・そもそも、その主催者の思想に左右されやすい ・オンラインサロン自体が労働集約的であるため、資産を作る作業から離れる可能性が高い |
などなど。
さて、再度伺います。まだ、有名な人のオンラインサロンに興味を持ちますか?
「責任を持てる人=大人」になるためにお金を稼ごう
以上、責任とか、いろんなを書いてきましたが、ぼくらは大人になるために、お金稼ぎを磨かないといけないと、ぼくは思っています。
言い換えると大人になるスタートラインに立つためには、力に溺れることなく、俺ツェぇ合戦をすることなく、ただただ、好きなタイミングで、必要なだけ、サラッと稼げる力をつけること。
それだけなんです。
それができたら、自分自身を、自分の大事な人を、とびきり幸せにして守り抜くことができます。
その力は、磨こう。
ぼくはそう思えたから、稼ぐ力を磨いてきました。
お金は、ある程度稼がないといけません。
基本的に、日常ありとあらゆる問題を解決できるレベルまでお金は「稼いで」一歩目です。
なぜなら、その先にしか真の意味で「お金じゃない」と言える世界はないからです。だからそこまで、ぼくらは走り抜ける義務すらあると思っています。
最初にも書いたとおり、人生の大半の悩みは、お金で解決できます。
しかしこれは、視点を変えると、お金で解決できる悩みは有限で、そこから先は、お金が余るようになるし、お金では解決できない悩みばかりになるということでもあるわけです。
と、いうことは。
そこを感じ始めてからが「人間、お金じゃないな」と心から言えるスタートラインであり、人生の幸福度が、その辺の人の質を日々更新していく、、、そんなスタートラインでもある。と、いうわけです。
それこそが「本当の人生のスタート」だとぼくは思います。
つまり、ですね。
ぼくの経験上、「人間、お金じゃない」という人は、親のすねをかじって生きている人か、それこそ、無知か・お馬鹿さんか、もしくは上っ面だけの偽善者だけです。
“普通”の家庭に生まれて、努力して上がってきた人たちは、そう簡単に「人間、お金じゃない」とは言いません。
じゃあ「本当の人生のスタート」を切った人と、普通にその辺を歩いている人と、どっちと出逢いたいかというと、当然ぼくは前者だし、人生連む人を、全員「本当の人生のスタート」を切った人で満たしたいと思っています。
なぜなら、その日常は楽しそうだと思うからです。
だから、ありあまるほど稼がないといけないと、心から思っています。なぜなら、その道を歩むことこそが、自分の大事な人の力になることだからです。
視点を変えると、もし、ぼくがそこに到達できなかったら、それは自分の家族に「無償の愛」を渡せないことと同義だからです。
ゆえに、今、放置で稼げていない人は、全員「対価前提での愛」だということを認識した方がいいです。これは、別に毒舌でもなんでもなくて、そこから目を背けて無償の愛として、“パフォーマンス”するからひずみが生まれて、ギクシャクするわけです。
簡単な話です。最初から「見返り前提」なのに、自分がいい人ぶってるだけです。だから、帰ってこなかったら「私がこれだけしたのに、あの人は、、、!」となるわけです。
単なる自業自得だと、そろそろ気づきましょう。
お金もちの方が、連んで気持ちがいい理由
以上の理由から、ぼくら「が」お金もちになるべきだし、お金もちと連むべきなわけです。
なぜなら、自分の器が満たされているからです。だから、本心と正面から向き合うことができるわけです。もっとも「単なるお金持ち」では意味ないですけどね。
あくまで、この記事で書いた「赤原的在り方」をしているお金持ち限定です。だから、メルマガには、価値があるとぼくは思っています。
なお、そう簡単に「赤原的在り方」のお金持ちとは出会えないし、出会ったとしても簡単には友達になれません。
なぜならそのためには、自分自身が相手と同等レベルでスキルがあるか、もしくは相手の持ってないスキルで、相手のレベルに近しい水準に到達しているか。どちらかだからです。
つまりは、結局「魂勝負だ」ってわけです。
でも、ちゃんと挑んだら、それ相応に評価はされます。なぜなら、普通のところから努力して登った人は、いい意味で「人たらし」だからです。
当然、余計な見栄の張り合いがないし、いがみ合いもないし、もし仮に相手に何か求める時には、当然対価を払うスタンスだから、連んでて楽なのだ。
・隙あらば、無料でサービスを受けよう
・無料でも教えてもらって当然
・都合が悪くなったら、すぐに離れる
いわゆる、そんな「くれくれ」マインドの人だっていない。
だから、そのスタートラインに立とうぜ。と。そんな話です。
お金が全てじゃあない。確かにそうでしょう。
お金で解決できないものこそ、人生でもっとも大事にしないといけないもの。
確かにそのとおりです。
しかし、お金で解決できるものをクリアしておかないと、そもそも、お金で解決できないものに挑戦することすらできない事は、忘れないで欲しいなと思います。
だからあえて言います。
お金を得ていない段階で、人生はお金じゃないなんて、偽善もいいところなわけです。
人生、お金が全てだ。だから、ありあまるほど稼ごう。 |
その先に、本当の仲間、本当の喜びを感じられる「スタートライン」が待っています。
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5日間で20万字近く届きます。無料でやっているので興味がある人はどうぞ。