三流大学卒の元公務員が、全財産2000円という逆境から1億稼ぎ、人生を立て直した物語
底辺だった人間が、起業を通して、生きる道を見つける様を綴っています。
初心者コーナー

「お金が全てじゃない」って言うけど、稼ぐことって汚いこと?

LINEで送る
Pocket

どうも、赤原(@luckyboy130527)です。

今回は、お金について、考察を。

MLMや、ネットビジネス、アフィリエイトに携わってきた身として、散々言われたのが、次の言葉。

・人生はお金じゃない
・お金で買えないものがある
・お金が全てじゃない
・お金の亡者
・お金が汚い

などなど。

この記事をみているあなたも、これを1度は思ったことがあるだろう。

また、上記のような批判を周りからされるんじゃないかと思って、本気を出すのをためらっていたり、二の足を踏んだりしている人もいると思う。

 

でも、ハッキリ言おう。

ぼくは今でも「世の中お金」だと思っている。
そのことについて、この記事では書いていきたい。

誤解のないようにしておきたいのは、「お金がすべてではない」のは、ぼくも100も承知だと言うこと。

ただし。ただしだ。

例えば、次の問題がおきたらどうするだろうか。

家族がガンになったら。

健康保険でも、医療保険でも、適用できる範囲が決まっている。つまり、手出しが多いのだ。

例えば、先進医療という保険の適用外の治療をやろうとした場合、かなりの額の手出しが必要となる。保険適用外で、300万とか平気でかかるものだってある。でも、当然この治療をしたからといって、100%治る確約はどこにもない。。。

と、いうときに。

気持ちよく、ギスギスせずにお金を出せるか出せないか。

これって、お金があるかないかで、大きく変わるのは、容易に想像つくだろう。そして、お金がない場合、そこからの未来が(仮に完治したとしても)変わる可能性が高いのも、容易に想像つくだろう。

こう言った、お金で解決できることが世の中に多いからこそ、世の中、金だということを、前提に置くべきだとぼくは思う。

他にも理由があるので、以下にまとめていきたい。

貧乏だと、圧倒的に無理ゲーの時代

先ほど、ガンのことに触れたが、自分がかからなかったらいいだけと思っている人がいるはずだ。

しかし、残念ながらそういった「最悪のもしも」に遭遇する機会は、限りなく100%に近い確率であなたを襲ってくる。

例えば、
・ガンを発症する確率:国民の2人に1人。
・離婚率:2組みに1組み
この時点で、結婚している人なら、自分のパートナーがガンになるか、もしくは自分の家庭がバラバラになるか、どちらか該当する可能性が高いということだ。

また、離婚の原因についても、
・共働き
・育児
・家事の分担
など、いろんな原因があると言われているが、そもそも、

・共働き→たんまり稼いでいたら、夫婦共にニートだって可能
・育児→夫婦共にニートだったら、趣味で子育てできる
・家事の分担→嫌なら、家政婦さんに外注して自動化したらいい

というように、お金で解決できることが、かなり多い
こういったことからも、健康的な豊かさも、精神的豊かさも、『お金で失うものが多い』のだ。

働けなくなったら困る仕事は、お金のため

日本人のほとんどが、正社員・アルバイトなどの肩書きや、雇用の形態こそ違えど、サラリーマンだと思う。

では、ここで考えて欲しい。ほとんどの人が、定年まで働くなどの「雇用の安定」を求めるが、それってなんのためだろう。

答えは簡単。お金のためだ。

ここでムカついた人もいるかもしれないので、例をあげよう。例えば、ドラマで、病気の患者に医者が入院を勧めるシーン。

この時、患者が
・会社に迷惑が、、
・クビになるかも、、
などを心配しているとしたら、この患者の真の恐怖は何か、考えて欲しい。

その裏には
・来月の収入
・病院の治療代
・未来の自分の生活
などがあるはずだ。

そして、これらも全て『お金』のための心配だ。

さらに極論で考えてみよう。

あなたの人生の最後の日まで、毎日1000万もらい続ける生活があるとしたら、今の仕事をするだろうか。

どんなに豪遊しても使いきれないだけの資産を持っていたら、今の仕事をするだろうか。

この問いに、即答で「それでもまだ仕事をする、学校にいく」と答えられないならば、今あなたがしていることは、お金のためだ。

信用経済、評価経済の落とし穴

いかがだろう。

以上を見ても、まだお金を稼ぐことを後回しにするだろうか。

ここで1つ気になるのが、評価経済・信用経済という言葉だ。

この言葉の意味を知らない人のため解説すると、この言葉は、信用があれば、お金は作れるという考え方だ。果たしてそうだろうか。この言葉の理念としての素晴らしさは知っているからこそ、ぼくは敢えて、ここにも疑問を投げかけたい。

そもそも、ネット上で測れる信用には、限界がある。障壁となるものはいくつもあるがここでは2つ提示したい。

1つ目は、「信用」と思うものほとんどが「信用ではない」ということ。
2つ目は、「ネット上から消えたら終わり」ということ。

以下、まとめていく。

※以下、知人のブロガーを例に出したりと、インパクトのあることを比較していくが、なんらブロガーを否定している訳でもなく、単なる「例」として出しているだけです。ぼくもブログを通した情報発信しているし、ブロガーは1つの生き方として、素晴らしいものだと思っています。あくまで「例」なので、ご了承を。

落とし穴1:「信用」と思うものほとんどが「信用ではない」

では1つ目から解説する。
ぼくの知人で人気ブロガーと呼ばれる人がいる。

月間70万PVほどある、かなりの人気ブログを運営しているが、クラウドファンディングでは、100万ちょっとの支援額を、かなりゴリゴリ案内しながら達成していた。

では、彼の信用を額に換算しよう。かなり強引な計算だが、支援額を、月間PVで割れば、いちおう『いち視聴者あたりの支援額』が出てくる。

計算したらわかるが、一人当たりの支援額は、2円もない。

 

反面、ぼくの教えた人は、ブログすらしていないが、そこに200人ちょっとから、1000万ちょっとを稼いだりしている。

その人は、1人から50000円以上貰っていることになる。

 

では、ここでクラウドファンディングと、サービスの違いを考えて欲しい。

クラウドファンディングは、「将来こんなリターンをするから〇〇円ちょうだい」というお金の集め方だ。

サービスは、「こんなサービスするから〇〇円ちょうだい」というお金の集め方だ。

さて、こう比較すると、なんら違いがないことがわかると思う。

・クラウドファンディングだから、なんとなくクリーン。
・サービスだから、ちょっと胡散臭い。
そう思う人が多いと思うが、本質的には、なんら変わりないのだ。

では、考えて欲しい。

・1人から2円ももらえない70万PVの知人のブロガー
・200人から1000万超をもらえた人

どちらの方が、信用されているだろう。答えは明白だと思う。

PVも、フォロワーも大事だ。

でも、これを見てでも、PVも、フォロワーが全てだという言い方をする人は、よほどのバカか、お天気ものか、無知かのどれかだ。

お金を払うということは、不安を伴うことだ。
つまり、お金を払って未来の価値の提供が期待できるという「信頼」があるから、お金は支払われるのだ。

逆に、お金を払わないということは、その不安の方が、信頼・信用にまさったということ。つまり、知人のブロガーの70万人の読者のうち、支援しなかった人たちは、その知人ブロガーに対して、「好感はあるけど、お金を払う“信頼、信用はない”」ということだ。

これこそが、評価経済・信用経済の落とし穴だ。

多くの人は、マネタイズ(収益化)を後にするという。そして、PVやフォロワー集めに走る。

しかしだ。これまで散々地獄も見てきたし、散々裏切られた経験をしていたからこそ、敢えて言いたい。

お金の「関門」は、さっさと設けるべきだ。

なぜなら、ここまで書いてきたとおり、本当の意味での「信用・信頼」は、お金を伴ってでないと、測れないからだ。

お金の支払いのタイミングで、躊躇するような関係性は、所詮表面上だ。

だから、ぼくは、有料のサービスをメインとしている。

なぜなら、正直、無料でコンサルした人で、今、ぼくの周りに残っている人は、誰もいないし、無料じゃないと受けない人は、そもそも、ぼくの優先順位が低いからだ。

そんな仲良い人の仮面をかぶった人は、ぼくの周りにはいて欲しくないし、ノリでぼくの時間は、1秒足りとも渡したくないからだ。

冷たいことをいうかもしれないが、お金の切れ目は、縁の切れ目という言葉がある。

そこを、履き違えると、あなたの人生も、振り回されて終わりだ。

落とし穴2:「ネット上から消えたら終わり」

これは、言葉のとおりだが、解説していく。

今、ネット上で「インフルエンサー」と呼ばれる人がいる。

彼らが、クラウドファンディングとして、お金を集めたり、病院代を集めたり、いろんなことをしているのは、知っている人もいるだろう。

では考えて欲しい。

彼らが、病気になったら。華々しい活動をできなくなったら。

指や体が動かなくなったら。

最初は、支援をする人がいるかもしれない。

では、それが仮に10年、30年、50年と闘病生活が続くことになったら。

それでもお金を払うだろうか。

違うだろう。

ネットから消えたら終わりということは、そういうことだ。

 

反面、ぼくが教えているのは、自分のお客さん候補の人たちに「だけ」でいいから、自動で認知され、自動で集客し、自動で、商品提供し、自動で、売り上げが上がる仕組みだ。

好きなことを仕事にしたとしても、この仕組みは作れる。

この場合は、仕組みが勝手に回るから、極端な話、その仕組みが回り続ける限り(インターネットがある限り)ぼくらがこの世を去っても、お金は、振り込まれ続けることだって可能だ。

寝てて売り上げが上がるとは、つまりそういうことだ。

 

これが、人気を作ることなのか、資産を作ることかの違いだ。

資産の作り方を学びたい人は、こちら

この世は、全て資産がある人が有利だ

とにかく、世の中の情報は、全て裏があると思った方がいい。

テレビCMや、YouTube、ラジオ、いろんな媒体で行われる世の中のプロモーション(広告)には、全て裏がある。

コーラのCMには、コーラを売るため、、と思ったら間違いだ。

もしかしたら、そのスポンサーの中には、添加物の会社もあるかもしれないし、例えばビタミンCと、安息香酸ナトリウムが合わさった飲み物は、劇物のベンゼンになるって知識もある中で、堂々とそんな飲み物が出回ってるって事は、別の見方をしたら、なんらかの意図すら感じられる。

同じように信用経済、評価経済という人にも、表面に出さない裏があるかもしれないわけで、そこを読み解かないといけない。

もっとも、ぼくにだって、こういうことを書く目的がある。ぼくの場合は、弱者救済だ。そして、その先に、教育や農業についてやりたい。そこには1馬力じゃあ限界があるから、ぼくの発信をとおして、仲間が出てきて欲しい。

だから、ぼくの場合は、この記事は、将来に向けての投資だ。

そのためにも、ホームレスや、どん底を味わったからこそ、同じような経験をする人を出したくないのだ。だから、「盲目的に信じる、思考を回さず、とりあえず人についていく」という行動の危険性を伝えたい。

ちなみに、ここで伝えたいのは、『資産を形成しない労働集約的な経済活動』の危険性だ。

サラリーマンだろうとフリーランスだろうと、走り続けないといけない経済活動には、リスクがつきものだということだ。

『資産を形成しない労働集約的な経済活動』には、「もしも」の状態への耐性が低すぎるからだ。

もし、入院だのなんだのでしばらく働けなくなったらどうするのだろう。

もし、それが長期間になったらどうするのだろう。

今のあなたの手にしているお金を得る手段は、お金は減らないのだろうか。10年、20年でも対応できるだろうか。

こういったことに、余裕で耐えられない限り、もし、家族がいたりしたら、自分が大事な人に負担をかけることになるのだ。

じゃあ、そのリスクがあるからと、結婚や親孝行など、自分の大切な人に対して、なんらかの“形”で示す「節目」をないがしろにするのか諦めるのか、となると、ぼくは違うと思う。

この点からも、一部「ミニマリスト」を名乗る人たちがいう「コスパ」主義は、まるっきり論点が違うと思うし、浅はかだとすら思う。

もちろん、ミニマリストもコスパも大事な概念ではあるが、それは、「わんさか稼いだ先」でも実行できるのであって、「お金が稼いでなくても、なんとか目の前の生活を維持する手法」としてのものではないということだ。

「そこに10万とかでも、生活できるミニマリストすげーだろ!」という発想は、自分の将来を「不安」の二文字がつきまとう未来へと全力で舵を切っているのと同じだということを、認識すべきだ。

ここまで知ってからでも、あなたはこう言えるだろうか?
「世の中、金じゃないよね」と。ぼくだったら絶対に無理だ。

お金も生き方も、人からの受け売りではなく、自分で判断すること

ここまで書いてきたことは、ぼくが仲間に教えていることのほんの一例だ。

しかし、いろんな感じられることはあると思う。

こんな感じで、お金がないことで、多くの悩みは引き起こされるし、逆にお金があれば、解決されていく。

また、「お金がなくて我慢した生活」が普通だという世間の風潮もある意味作られたものだし、「お金がなくても生きていける」という風潮も、作られたものだ。

だから、あなたがそこに対して「どう考え、判断するか」が、大事なのだ。

お金は、無色透明。お金が汚いんじゃない。お金を汚く感じさせる要因は、また別にある。

そして、もう1つ考えて欲しいことがある。それが「お金が汚い」ということについてだ。

・出る杭は打たれる
・郷に入っては郷に従え
などなど、日本人は「みんなと同じ」に安心を覚える性格がある。

そして、もう1つ、日本人らしい特徴がある。それが嫌儲主義だ。

「稼ぐこと」に、嫌悪感を感じる人が多い。

しかし、本当にそれでいいのだろうか。

これまで書いてきたとおり、お金は「大事な人を守る力」にもなり得るものだ。

つまり、お金自体は悪いものではないし、汚いものでもないし、もっというと、お金は、綺麗なものでもなく、あくまで「数値であり、ツール」だ。それ以上でも以下でもないのだ。

では、なぜ、ここまで「お金が汚い」と思うのだろう。

結論からいうと、お金が汚いのではなく、お金を原因としてモメる、その当事者片方、もしくは双方の「生き方が汚い」のだ。

例えば、オレオレ詐欺のように、お金を騙して集める人。
また、評価経済、信用経済に便乗して、私利私欲を肥やす人。
また、お金の貸し借りや、遺産相続。

いろんな面で、胸を張ったお金の得かたをしていない人がいる、また自分の思い通りにしようとする「見えない意図が見え隠れする」人がいる。だから、お金を汚いといい、自分たちの生き方の汚さから、目をそらすのだ。

生き方が汚い人が、正々堂々ではない方法でお金を得ている。
そこを揶揄する、「あの人のお金は汚い」という言葉が生まれ、ひとり歩きしていくのだ。

そして、もう1つここで問題提起したい。

では、ぼくたちは、生き方は汚くないだろうか。

あえて言うが、周りの人に迷惑をかけていなくとも、生き方が汚い人はたくさんいると思う。

「責任」について

責任という言葉の英訳を知っているだろうか。

英語では「responsibility」という。

これは、「response:反応」+「ability:能力」からなる言葉だ。

つまり、責任とは、反応する能力のことを指す。では、この解釈から、ぼくらの日常を考えてみよう。

お金がある人たちの日常は、好きなものを買い、好きなところで時間を過ごし、好きなことに、お金をどんどん費やしていくことができる。

じゃあ、お金がない人たちの日常は、好きなものを我慢し、買える範囲の中で、適当にものを買い、食べたいものを我慢し、買える範囲の中で、適当にものを買い、受けたい医療を我慢し、受けれる範囲で、医療を受けていく。

じゃあ、どちらが、自分の人生に対して、責任を持った生き方をしているだろう。

批判を恐れずにいうと、前者が責任のある人生であり、後者は違うとぼくは思う。

お金を得る方法さえ手にしていたら、望む生活を送れていたのに、そこに対して到達する行動をしなかった為、我慢した生活を送らざるを得ない状態を作っているからだ。

だから、周りには迷惑をかけていなくとも、その人の生き方は、自分に対して正直じゃないと言える為、その生き方は「汚い」のだ。

もっとも、どんな人たちと、お金の得かたを身につけるかも、大事だ。

先ほど書いたとおり、有名な人=善人ではない。

もっというと、有名なオンラインサロンに入ったからと、安心でもない。

あなたが作るべきは、あなたの資産であって、大勢と連んで「ウェイ!」ではないのだ。

これは、また別の機会で書くが、有名なオンラインサロンに入って、大勢で連んでもいい事なんて何一つとしてないと思う。

学習のため、入るのは、大いに結構だが、リスクもあるのだ。サラッとまとめることにする。

有名オンラインサロンに入るリスク。(大勢で連むリスク)

・当事者意識が下がる
・自分の資産を作らず、つるんでいるだけで、人生が進んだ気になる
・オンラインサロンでの行動を優先し、他人の資産は作るが、自分の資産がおなざりになる
・ネット集客が一瞬うまくいくように感じるが、そのオンラインサロンの肩書きが通用しているだけで、生身の等身大の本当の自分では通用しない可能性から目をそらしているだけ
・つまり、大勢で生まれた「自信」は「勘違い」である可能性が高い
・そもそも、その主催者の思想に左右されやすい
・オンラインサロン自体が労働集約的であるため、資産を作る作業から離れる可能性が高い

などなど、そんな「リスク」もあることを知っておかないといけない。

「責任を持てる人=大人」になるためにお金を稼ごう

以上、責任とか、いろんな「ビビる」ことも書いたが、それでも、ぼくらはお金を稼がないといけないのだ。

なぜなら、自分自身を、自分の大事な人を、とびきり幸せにして守り抜くために、お金が必要だからだ。

だから、ある程度お金を稼いで、初めて、真の意味で「お金じゃない」と言えるようにならないといけないのだ。そこまで、ぼくらは走り抜ける義務すらあると思う。

前にも書いたとおり、人生の大半の悩みは、お金で解決できる。
これは、視点を変えると、お金で解決できる悩みは有限で、そこから先は、お金が余るようになるし、お金では解決できない悩みばかりになるのだ。

そして、そこを感じ始めてからが「人間、お金じゃないな」、と心から言えるようになる。ぼくは、そこから先が「本当の人生のスタート」だと思う。

逆に、ぼくの経験上、「人間、お金じゃない」という人は、親のすねをかじって生きている人か、上っ面だけの偽善者だけだ。“普通”の家庭に生まれて、努力して上がってきた人たちは、そう簡単に「人間、お金じゃない」とは言わないからだ。

自分でその高みに登って感じられるもの。それが、例えば、
・信頼に応えようとし、応えようとされる仲間のありがたさ
・そういった仲間と感じられる無償の愛
・好きな仲間のピンチに力になれる喜び
そういった、お金以外のところで感じられる、お金の問題をクリアしたからこそ感じられる、心のゆとりや、人間的成長から派生する喜びだ。

お金が「有り余るほどある」から、見返りを求めることなく、自分の仲間のことを思うことができるし、同じような仲間からの愛を感じることができる。

これは、裏を返すと、お金がない間は、今の手元のお金や、自分の「制限つき」の時間の中で、自分の労働時間に差し障りのない範囲ないでの思いやりや、力になることしかできないわけだ。

じゃあ、どっちがいいかって、当然ぼくは前者だし、だから、ありあまるほど稼がないといけないと、心から思っている。それが、自分の大事な人の力になることだからだ。

もし、ぼくがそこに到達できなかったら、「無償の愛」を渡せないからだ。だから、到達していない人は「対価前提での愛にしかならない」のだ。

でも、それを無償の愛として、“パフォーマンス”するから、どこかでひずみが生まれて、ギクシャクするのだ。

最初から「見返り前提」だから、帰ってこなかったら「私がこれだけしたのに、あの人は、、、!」となるのだ。

そんなことするなら、最初からしなかったらいいのに。って思うが、自分が満たされてないから、それを他人に求めてしまうため、満たされてない人こそ、そんな行動に走ってしまうのだ。

お金もちの方が、連んで気持ちがいい理由

以上の理由から、お金もちと連むべきなのだ。

自分が満たされているから、本心から正面から向き合うことができるからだ。
もっとも、お金もちから向き合ってもらうためには、自分自身がスキルがあり、お金を持っていることが前提だが。

ただし、裏を返すと、親のすねをかじった人でない限り、「普通」のところから、努力して、お金を得ているため、人間性が素晴らしい人であることが多い。なぜなら、稼ぐ過程で
・どうしたら嫌われ
・どうしたら好かれ
・この人は何を求めているのか、察知する努力
そんな積み重ねが「必須」だからだ。

だから、普通のところから努力して登った人は、いい意味で「人たらし」なのだ。

当然、余計な見栄の張り合いがないし、いがみ合いもないし、相手に何か求める時には、当然対価を払うスタンスだから、連んでて楽なのだ。

・隙あらば、無料でサービスを受けよう
・無料でも教えてもらって当然
・都合が悪くなったら、すぐに離れる
いわゆる、そんな「くれくれ」マインドの人だっていない。

もちろん、上のはお金も全員じゃないし、逆に、まだお金を得てない人の中にも、ハングリー精神や根性がある人だって大勢いるのも知っている。

もっとも、この記事は、そんな人のために書いている。
少しでも刺さったら、今後のあなたの参考にして欲しい。

お金が全てじゃあない。確かにそうだ。

お金で解決できないものこそ、人生でもっとも大事にしないといけないもの。
確かにそのとおりだ。

しかし、お金で解決できるものをクリアしておかないと、そもそも、お金で解決できないものに挑戦することすらできない事は、忘れないで欲しい。

だからあえて言おう。お金を得ていない段階で、人生はお金じゃないなんて、偽善もいいところなのだ。

人生、ほとんど全てお金だ。だから、ありあまるほど稼ごう。

その先に、本当の仲間、本当の喜びを感じられる「スタートライン」が待っている。

LINEで送る
Pocket